上海三友実業公司焼討事件に日本軍憲兵大尉は参加したか?

前回記載しなかったが、右翼団体の上海青年同志会による三友実業公司襲撃放火事件は、日本軍憲兵大尉が指揮したという説がある。情報の大本は田中隆吉自身の証言*1だが、そこでは「当時、上海に日本人青年同志会というのがあったんですが、それをちょうど上海に来ておった重藤千春という憲兵大尉に指揮させて、その抗日色の強い三友実業公司を襲撃させたんです。」と語られている。

ところが、重藤千春という名前はどうも間違いらしい。この田中証言は1960年代ごろの三国一郎による聞き取りで、田中自身の記憶違いである可能性がある。
おそらくは1932年1月当時上海にいた日本軍憲兵大尉である重藤憲文のことであろう。重藤憲文憲兵大尉は1931年4月から1933年8月まで上海駐在憲兵として上海に赴任している。上海三友実業公司焼討事件に直接関与したとすればこの重藤憲文憲兵大尉が一番可能性が高いだろう。
この重藤憲文憲兵大尉には10歳年上の兄がおり、名前は重藤千秋陸軍大佐*2である。この重藤千秋陸軍大佐は満州事変前の1931年3月にクーデター未遂事件である三月事件を起こした*3当事者のひとりである。「重藤千春」とは、あるいは重藤千秋にあやかって弟の重藤憲文が使った符丁かも知れない。

重藤憲文憲兵大尉は上海三友実業公司焼討事件に参加したか?

これを裏付ける資料は、田中隆吉の証言以外には見当たらない。襲撃に参加した上海青年同志会の人数が資料によって、32人であったり、30人であったりするが、その差分に、あるいは重藤憲文憲兵大尉がカウントされているのかも知れないがはっきりしない。
事件翌日の1月21日には中国人の発行する民国日報に「日艦陸戦隊」が「鉄甲車四両」とともに「便衣日浪人70余人」を率いて上海三友実業公司を襲撃したと記載されている*4
この記事が全くの捏造か、それとも襲撃の犠牲となった租界工部局警察の中国人警官らに取材した内容がある程度反映しているのかは判断できない。あるいは重藤憲文憲兵大尉を「日艦陸戦隊」と見間違えたのかもしれない*5

重藤憲文憲兵大尉が襲撃事件に直接参加したかどうかは、現時点では何とも言えないが、当時の肩書き*6や家族関係を考慮すると何らかの形で関与していたのは間違いないだろう。

*1:http://www3.plala.or.jp/kindai-kyoto/syanhaizihen.html

*2:当時、第19師団麾下歩兵第76連隊連隊長

*3:重藤千秋大佐の当時の肩書きは参謀本部支那課長

*4:日中戦争2」児島襄、P180

*5:http://d.hatena.ne.jp/MARC73/20110308/1299593035 に書いた通り、民国日報の記事は誇張しているとはいえるものの、捏造と言えるほどではなく、工部局の中国人警官の死傷者数などについては正確な記事と言える。

*6:満州事変関係の機密費をかなり使える立場にあった