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戦後熱海の利権争奪を巡る暴力団と外国人と宗教団体

戦争末期の伊豆半島から相模半島までの相模湾一帯は、米軍の本土上陸が懸念される地域であったため、日本軍は泥縄的に要塞化を進めた。しかし、徴兵を繰り返し若年者・壮年者の人口が少なくなった状況では労働力が足りず、強制連行した中国人・朝鮮人らを投入した。
これら中国人・朝鮮人を土建関係業務に投入した際に、直接管理したのが主に暴力団であった。戦時中の暴力団は、国家社会主義の取り締まりにより組織員が逮捕されたり、徴兵されたりして戦前に比べてその実力を低下させていた。賭博や売春に関しても、客自体が減ってしまい、経済的に苦しい状況となった暴力団は、軍事関係工事の下請けをして糊口をしのいでいたのである。
大手建設会社が政府に働きかけ、連行した朝鮮人・中国人を実際に管理したのはこれらの下請け企業であり、実質的には暴力団であったのだ。
実力を低下させていた暴力団を背後から支えたのは、国家権力による法的根拠であった。強制動員を法で正当化し官憲が圧力をもって土建・暴力団側に協力したのである。法で厳密に強制できない部分は、暴力団の威圧によって「自由意志」とされた。


しかし、終戦と共に中国人・朝鮮人を拘束する法的根拠や官憲の権威が失われると、中国人・朝鮮人らは自由に行動し始めた。彼らの多くは帰国を望んだが、暴力的に管理され給与もろくに払われていなかった状況から、まずは不払い賃金の要求を会社に行った。しかし、終戦直後のインフレから実質的な賃金は支払われることがなく、払われた賃金もあぶく銭でしかなく賭博などに消費されていった。
また、賃金交渉に困った企業側は頼りにできない官憲よりも暴力団をあてにするようになった。

熱海の暴力団と外国人

温泉地として有名だった熱海は終戦当時、石井秀次郎率いる山崎一家の縄張りであり賭博や売春などでも有名な歓楽街であった。戦時中は賭博・売春が下火であったが、戦後になると復員兵や失業労働者が集まり活況を呈すようになる。
しかし、戦時中に実力を低下していた山崎一家はこれをまとめることができなかった。
集まってきた失業者の中には、伊豆半島などで強制労働させられていた朝鮮人・中国人もおり、彼らの中には愚連隊を作ったり、在日朝鮮人連盟や台湾省民会などの権威をかさにきた横暴な振る舞いをする者もいた。
さらに帰国した復員兵などの日本人も山崎一家とは別の愚連隊をつくったため、山崎一家だけでこれらを抑えることはできなかった。1947年、石井秀次郎は、横浜を縄張りとしていた博徒・鶴岡政次郎(網島一家五代目)に支援を頼み網島一家代貸しの稲川角二(稲川聖城)が熱海に一家を築くことになる。稲川角二は、横浜愚連隊の出口辰夫、吉水金吾、井上喜人、林喜一郎らを率い、熱海の愚連隊を次々と駆逐したが、これは決して日本人対外国人と言った構図ではない。
1945年から1949年までの熱海の勢力対立は、石井秀次郎の旧博徒と復員兵・失業者らの新博徒の勢力争いであり、新博徒内部での勢力争いに過ぎない。石井秀次郎には既に新博徒を抑える実力がなく、稲川角二はそこにつけこんで新博徒内部での勢力争いを優位に進めたのである。
また、稲川角二も暴力だけで駆逐したわけではなく、巧みに配下に引き入れて自己の勢力の拡大に資したのである。この中には御殿場の愚連隊を率いた中国人・趙春樹もいた。
1949年春には石井秀次郎は稲川角二の勢力に圧倒され引退を強要され事実上、熱海の縄張りは稲川角二に乗っ取られた。熱海の利権を手に入れた稲川角二は1949年4月、稲川組を結成し以降芸能関係に食い込んでいくことになる。

熱海の宗教団体

戦後、非合法的ながら活況を呈した熱海に目を付けたのは暴力団だけではない。戦争末期に箱根・熱海に疎開していた大日本観音会(観音教)を指導する岡田茂吉もそうである。熱海は別府や伊東に並ぶ観光都市として、優先的に復興予算が配分されることが見込まれ、土建利権以外に観光利権が確実で布教としても理想的な立地であった。
1948年から1949年にかけて熱海国際観光温泉文化都市建設法案が形になってきた時期に、岡田は熱海に広大な土地を購入しマスメディアから非難、脱税の疑いも受けた。
岡田の観音教は、反共主義で日本人優位主義の国粋的要素が強く戦時中は戦争協力しながら、戦後は敗戦により悪いものがなくなったと主張し責任を回避している。

稲川組と観音教の関係については定かではない。しかし、宗教と歓楽街の組み合わせは浅草と吉原でも見られる一般的な相互補完関係であり、1949年の熱海という狭い世界で全く何の関係もなく共存したとは考えにくい。

後始末

稲川角二が熱海を支配した1949年4月から2ヶ月後、稲川組は朝鮮人愚連隊を襲撃し熱海から追い出しており、これには警察も協力している。朝鮮人愚連隊は在日朝鮮人連盟とのかかわりがあったと思われるが、暴力団と警察が協力して、反共・日本人至上主義の宗教が拠点を置く熱海から朝鮮人を追い出したのである。
当時、朝鮮半島では大韓民国が成立し朝鮮民主主義人民共和国との対立が激化、日本政府は米国と共に大韓民国を支援する立場に立つことを決め、在日本朝鮮人連盟も程なく解散に追い込まれることになる(1949年9月)。




参考:http://shinjuku.cool.ne.jp/shumei100/index2.html
参考:http://www.web-sanin.jp/gov/boutsui/mini34.htm
参考:http://www.npa.go.jp/hakusyo/h05/h050101.html
参考:http://www.edp.eng.tamagawa.ac.jp/~sumioka/paper/hpaper/1992yakuza.pdf
参考:http://gfdhnwsjnsnlksxksk.blog75.fc2.com/blog-entry-880.html