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旧日本軍組織温存のための戦い2・海烈号事件

中台対立 戦後日本

1949年7月、根本らは台湾に到着するが、既に福建省は陥落寸前。同行したのは、吉川源三元陸軍中佐、岡本秀徹、照屋林蔚、中尾一男、吉村某、淺田某ら6名で計7人。うち6人は国民党軍の湯恩伯将軍に招かれ福建省に行くも、戦況利なく、吉本、照屋、中尾の3名は9月21日、中国船に乗って帰国した。
この後も、根本らは台湾に残り「林保源」と名乗って、1949年10月の金門戦争に参加している。
これら根本らの動きと別に、日本の元軍人や右翼学生らによる台湾渡航が企てられている。
まず、根本らが台湾に渡る二ヶ月前の1949年4月29日、右翼の学生たちで組織された「海外同胞引揚救護学生同盟」の同盟員38名が「義勇兵」の第1陣として飛行機で台湾に飛んでいる。さらに根本らと同時期の6月には学生同盟員40名と中島飛行機の技術者8名が第2陣として台湾に向かっている。
これらの動きの背後には1949年4月に密かに来日していた蒋介石腹心の曹士澂少将の暗躍があり、日本側でも復権を狙う児玉誉士夫右翼団体や旧職業軍人らが積極的に協力していた。台湾と日本に跨る非合法活動である。
この活動の資金はやはり非合法な密輸によって得ていたが、1949年8月に横浜に入港した中国船「海烈号」は5億円相当の禁制品を積んでいたことが発覚し問題となった。
直接的には三上卓元中尉や阪田誠盛元関東軍嘱託らによる密輸であり、「日本再建計画」のための資金調達を目的としたと1949年10月に報道された。なお、三上元中尉は、1950年3月に重労働5年の判決を受けている。
この少し前の1949年9月10日、曹士澂少将の他、富田直亮元陸軍少将、岡村寧次元陸軍大将、澄田賚四郎元陸軍中将、十川次郎元陸軍中将、及川古四郎元海軍大将、小笠原清元陸軍参謀らが集まり、非合法非公式な台湾派遣日本軍事顧問団を結成します。いわゆる「白団」です。
1949年秋に台湾に渡ったのは10数名、岡村元大将はいずれ正式な義勇軍を編成することを目論んでいたがそれは遂にかなうことはなかった。
海烈号事件の暴露から、日本国内で反共義勇軍の募兵が行われていることが問題視され、11月には国会で時の吉田内閣が追及を受けることとなり、政府は関与しておらず大規模な募兵の事実は無い、と答弁した。
そして、何よりその直前の1949年10月1日には、中華人民共和国の建国が宣言され国共内戦の帰趨が決したことは、日本政府に大陸介入の誘惑を断ち切らせるのに十分であった。