阿部中将戦死後の日本軍独立混成第2旅団撤退

前回の続き

1939年11月7日、太行山脈中の黄土嶺附近で八路軍に包囲された独立混成第2旅団の討伐隊は、指揮官であった阿部中将を戦死という形で失った。
しかし、包囲は尚も続き日本軍討伐隊は危機的状況にあった。
これを救援するため、日本軍は独立混成第2旅団の残部と第26師団、第110師団に黄土嶺への急行を命じた。
これに対し、八路軍は各県の遊撃隊に日本軍増援部隊に対する牽制を命じ救援部隊の遅延を計る。

11月8日、包囲された日本軍討伐隊残存部隊は航空機の支援を受けつつ上庄子西北方の第1団、第25団の一部に攻撃を集中。日本軍約400人が包囲網を突破、司各庄方向へと撤退して行った。
包囲していた八路軍第2団、第3団が追撃し、さらに激戦が展開したが、日本軍の増援が近づく中、これ以上の戦闘継続は不利と判断し、八路軍は撤退した。

なお、黄土嶺の戦闘では賀竜の第120師からも特務団が包囲に参加している。