1937年

大山事件発生時にクロード・ファレールは上海にはいなかった

歴史修正主義者である東中野修道が反中プロパガンダでクロード・ファレールの随筆を引用して以降、ネトウヨにより頻繁に利用されている記述が、クロード・ファレールによる大山事件の描写である。 中には、クロード・ファレールが”証言”しているとまで言って…

ハリエット・サージェント「上海 魔都100年の興亡」における大山事件

ハリエット・サージェントは1954年生まれのイギリス人女性コラムニストである。 父であるサー・パトリック・サージェントが文化大革命直後の上海に訪れた際に同行し、上海についての本を書くことになった。「上海 魔都100年の興亡」は歴史の本ではないが、こ…

大山中尉殺害事件における保安隊員の死因

大山事件で死亡した中国側保安隊員*1の死因については、中国側は日本側の発砲によるとし、日本側は同士討ちだと主張している。 酷い反中プロパガンダになると、中国側が”わざと”同僚を殺害した*2、あるいは、死刑囚を連れてきた*3、というものまであるが、そ…

日本海軍陸戦隊西部派遣隊本部の場所

1937年8月9日に殺害された大山勇夫海軍中尉は、上海特別陸戦隊第一大隊第一中隊中隊長であった。この第一中隊は上海西部の日本資本の紡績工場地帯の警備のために上海西部に派遣されていた。 前回の記事では、西部派遣隊の本部がどこにあったかわからなかった…

8月9日に大山勇夫中尉がモニュメント路(碑坊路)を通行した理由

1937年8月9日、日本海軍の大山勇夫中尉は、斉藤与蔵一等水兵の運転する自動車で上海西部のモニュメント路(碑坊路)(現・綏寧路)を通り、そこで殺害された。 モニュメント路(碑坊路)(現・綏寧路)は、中国空軍の軍専用飛行場である虹橋飛行場のすぐ東側を南…

大山事件に関する外務省の対外発表(8月11日)

外務省情報部長が事件2日後の1937年8月11日に公表した事件の説明だが、当然日本には一切非がなかったという主張になっている。実際にはこれらの説明には矛盾も多く、信頼性には疑問符がつくのだが、これをそのまま鵜呑みにして大山事件を日中戦争正当化や対…

上海大山中尉射殺事件の日本以外での報道

大山事件に関しては、当然ながら海外でも報道されている。中国側では南京放送が報道している。発表ソースは淞滬警備司令部であろうが、日本の同盟通信や朝日新聞が海軍省発表に依拠しているのと同じと言える。 その他、第三国メディア*1としてはロイター通信…

「各社特派員決死の筆陣支那事変戦史」で見る大山事件関連報道

反日ワクチンなるネトウヨサイト*1と同じくRed Foxなるネトウヨサイト*2で流布されている大山事件関連の日本特派員記事がある。あちこちでコピペされて使用されているが、この二つのサイトについては出典が明記されていた*3。 1937年12月に発行された「各社…

上海大山事件関連の朝日新聞報道(1937年8月10日)2

上海大山事件関連の朝日新聞報道(1937年8月10日)1 - 15年戦争史の続き 保安隊なお密集 昨深更・海軍省の発表 海軍では大山中尉射殺事件に関し十日午前一時海軍省副官談の形式で左の如く発表した。 第三艦隊参謀長よりの来電によれば 一、九日午後六時半頃…

上海大山事件関連の朝日新聞報道(1937年8月10日)1

朝日新聞は縮刷版を出しているので大きな図書館なら確認できるが、容易に手に入るものととしては「朝日新聞社編 朝日新聞に見る日本の歩み 破滅への軍国主義I(昭和12年-14年)」という抜粋版がある。縮刷版はまず貸し出し禁止だろうが、抜粋版は貸し出しで…

新四軍の成立

新四軍は正式名称を国民革命軍陸軍新編第四軍という。長征前の中国共産党が本拠地としていた江西省近辺には紅軍系の遊撃隊が多数残存しており、日中戦争開戦後の1937年10月に国共両党はこれらの紅軍系遊撃隊その他を再編することで合意した。 対象となった地…

張家口戦役・南口戦役

1937年7月末に北京を攻略した日本軍は、8月8日北京西方の要衝、張家口以東の攻略を開始する。これは関東軍の強い要望に参謀本部が折れた結果でもある。北京から張家口に向うにはまず居庸関を超えねばならない。日本軍は8月11日、独立混成第11旅団をこの居庸…

第二次上海事変(1)

通州での邦人犠牲は日本の傀儡である冀東政府保安隊の反乱に伴うもので200人ほどの民間人が犠牲になっている。宋哲元の第29軍でも蒋介石の中央軍でもないことから、通州事件に対する反感を中国政府に向けるのは筋が通らないものであったが、日本軍は加害者を…

盧溝橋事件

1937年7月7日夜、北平郊外盧溝橋で夜間演習中の日本軍(支那駐屯歩兵第1連隊第8中隊)に対し中国側陣地からの発砲があった。日本軍兵士一名の所在が確認できなかったことから俄かに緊張が高まり、支那駐屯軍歩兵第一連隊の牟田口連隊長は中国側に攻撃を一木…