1937年

太田寿男証言

2.日本战犯太田寿男笔供、口供 2.日本战犯太田寿男笔供、口供 2、日本战犯太田寿男笔供、口供 P3 P14 P15 P16 P17 P18 P19 P20 P21 P22 P23

日本軍第13師団の損害

1937年10月7日~11月1日 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11111760800、第13師団上海附近の会戦 戦闘詳報 昭和12年10月7日~12年11月1日(防衛省防衛研究所)」 戦闘参加 死 傷 生死不明 将校 准士官・下士官兵 馬匹 将校 准士官・下士官兵 …

洛川会議に関する中国の公式見解

中国共産党新聞 洛川会议(1937年8月22-25日) 卢沟桥事变以后,中国开始了全国性的抗日战争。为了进一步贯彻党的抗日民族统一战线的策略,确定党在抗战时期的纲领、路线和政策,1937年8月22日至25日,中共中央政治局在陕北洛川县冯家村召开了扩大会议,即洛川…

洛川会議(1937/8/22-25)で採択された「当面の情勢と党の任務についての決定」

「当面の情勢と党の任務についての決定」(关于目前形势与党的任务的决定)(1937/8/25) 中国共産党公式資料「中央关于目前形势与党的任务的决定」以下は日本語訳。 (一)蘆溝橋における戦争挑発と北平、天津の占領は、日本侵略者が中国中心部に大挙進攻す…

1937年9月時点の日本陸軍の派兵状況

1937年9月時点の日本陸軍の歩兵師団数は23個*1。独立混成旅団は1個*2。 もともと独立混成旅団は2個あったが、そのうち独立混成第11旅団が第26師団に1937年9月に改編されている。 1937年7月に関東軍から2個旅団(独混1旅、独混11旅)、朝鮮軍から1個師団(20…

第二次上海事変(2)

1937年8月23日未明、上海で戦闘中の日本海軍陸戦隊から一部隊を割いて雲陽丸、当陽丸、信陽丸と護衛艦で黄浦江を下り、呉淞埠頭に横付け上陸を試みた。しかし、中国軍から激しい銃撃を受けたため艦砲射撃と軽機関銃と曲射砲によって応戦、岸壁付近の建物に火…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )5の2

「The Rape of Nanking」の節の続き。 前半部分で被害実態についての言及があった。否定論の中には、一部の兵士による不法行為であって日本軍全体の責任ではないとするものもある。その否定論を打ち消す内容がここから記載される部分。日本軍司令部の対応が…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )5の1

前4節を通じて、日本側の認識を論じた東京裁判法廷は、いよいよ南京大虐殺の記述に入っていく。 「The Rape of Nanking」 南京大虐殺事件、南京事件などと呼ばれる日本軍による有名な戦争犯罪である。 この部分については、ネット上でも日本語訳を見つけるこ…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )4

『国際法上の戦争ではない』『戦争捕虜ではなく匪賊である』『捕らえた中国軍兵士を即時処刑しても問題ない』という日本側の認識が盧溝橋事件(The Marco Polo Bridge Incident)後も変わらなかったことを示すのがこの節である。 「The Policy Remained Unch…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )3

東京裁判判決文第8章「通例の戦争犯罪」の3つ目の節は「Captives Taken in the China War Were Treated as Bandits」すなわち「中国での戦争で捕らえた捕虜は盗賊として扱った」である。 Captives Taken in the China War Were Treated as Bandits The Japan…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )2

軍の方針の樹立 Formulation of Military Policy Before discussing the nature and extent of atrocities committed by the Japanese armed forces, it is desirable to state, very shortly, the system under which such conduct should have been contro…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )1

東京裁判判決文の第8章は「通例の戦争犯罪」となっており、そこに戦争中の日本政府・日本軍の行動に対する評価が記されている。第8章内の最初の節は「Allegation That the Laws of War Did Not Apply To the Conduct of the War in China」である。すなわち…

「加賀」は日中戦争初戦で南京等を空爆した艦載機が発艦した空母

ヘリ護衛艦「かが」就役4隻態勢 対中潜水艦戦に威力 米戦闘機発着も可能(産経新聞 3/23(木) 7:55配信 )自衛隊の四隻目のヘリ空母「かが」が就役し対中国関連で強調されている。 しかし中国側が「かが」を警戒するのは、現在の日本の対中政策に対してだけ…

林彪の語る平型関の戦訓

全体としての平型関の戦闘は、1937年9月22日の中国軍第2戦区が防衛する平型関に対する日本軍第5師団の攻撃開始から、28日の中国軍による平型関放棄までの一連の攻防戦を意味する。 防衛の主体となったのは第2戦区隷下の第6集団軍(楊愛源)に八路軍第115師(…

上海・大山勇夫海軍中尉遭難事件(虹橋飛行場事件)の概略

1937年8月9日夕刻、上海郊外の虹橋飛行場正門前で大山勇夫海軍中尉が中国保安隊によって射殺された。大山事件という。 日本側は中国側に対し強硬に抗議し軍艦を上海に派遣して威嚇、結果として第二次上海事変が勃発するに至るが、中国側では日本軍将校が虹橋…

盧溝橋事件から通州事件・北京陥落まではどういう流れだったか

1937年7月7日、現在の北京郊外盧溝橋附近にて夜間演習中の日本軍に対して実弾発砲事件があった。日本軍の演習に反発した中国軍兵士による偶発的発砲というのが通説である。 発砲による日本軍の被害は皆無だったが、日本兵一名が一時所在不明になったことから…

南京大虐殺とはどういう事件だったか

1937年12月13日、侵攻してきた日本軍の攻撃により中華民国の首都・南京が陥落した。 南京防衛軍は崩壊し一部の部隊が日本軍の包囲網を破っての撤退に成功したが、多くは壊滅した。 南京の中国軍防衛線は南京城の城壁を最終的な防衛ラインとし、それを城外の…

上海大山中尉射殺事件の日本以外での報道2

日本国内不発表 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03023890400、各種情報資料・北支事変関係情報綴(国立公文書館)」 情報委員会八・一一 情報第三号 大山事件と仏紙論調 ―同盟来電(不発表)―パリ十日発電 北支事変に対するパリ新聞の興味は茲二、三日以…

一個歩兵師団の構成の日中比較

類別 日本 中国 人員 21945人 10923人 馬匹 5849頭 -- 歩騎兵銃 9476挺 3821挺 擲弾筒 576基 243基 軽機関銃 541挺 274挺 重機関銃 104挺 54挺 野山砲 64門 16門 連隊砲・大隊砲 44門 30門 戦車 24両 0 車両 262両 0 自動貨車 266両 0 馬車 555両 0 (『中国…

第八話 南京防衛戦

第八話 南京防衛戦 2014-09-16 17:11:33 日本軍は上海を占領した後、中国の抵抗に"懲罰"を加えるため、当時中国の首都だった南京への攻撃を決めた。1937年12月1日、日本軍大本営は「大陸第8号令」を下し、華中方面軍が海軍と合同して3つのルートに分かれて南…

第七話 広陽での待ち伏せ戦

第七話 広陽での待ち伏せ戦 2014-09-15 12:32:00 1937年10月、国民党軍による太原防衛戦を支援し、日本軍の攻撃の勢いを抑制するため、八路軍第115師の林彪師長がその師と第343旅団を率いて五台地区から南下し、正太鉄道の南側で作戦している第129師と共に西…

第六話 忻口戦役

第六話 忻口戦役 2014-09-14 15:34:51 1937年9月末、日本軍第5師団や関東軍の一部が、雁門関から平型関までの内長城における中国軍の防衛線を破り、太原へ向けて進んでいた。中国第二戦区司令部は忻口地区で防衛戦を実施することを決定し、戦区部隊を右路軍…

第五話 陽明堡戦闘

第五話 陽明堡戦闘 2014-09-13 13:23:13 1937年10月中旬、命令により崞県(山西省原平市)および代県(山西省北東部の忻州市の管轄下にある県)の東側地域で側面から敵を攻撃することになった第129師先導部隊第769団は、滹沱川南岸の蘇竜口、劉家荘地区まで…

第四話 雁門関待ち伏せ攻撃

第四話 雁門関待ち伏せ攻撃 2014-09-12 17:03:23 1937年10月18日、中国共産党が指導する八路軍第120師358旅716団の主力部隊が山西省にある雁門関以南の道路両側の高地で、大同と代県の間を往復する日本軍の運輸隊を待ち伏せ攻撃し、忻口を進攻する敵の後方の…

第三話 平型関の戦いに関する説明

第三話 平型関の戦いに関する説明 2014/9/11 13:43 1937年9月中、下旬、津浦鉄道、平漢鉄道に沿って南下した日本軍は、それぞれ河北省の滄州、保定などを占領した。平綏鉄道に沿って進んだ日本軍は山西省北部に入り、天鎮、広霊、大同を占領した。閻鍚山が率…

第二話 八一三淞滬会戦

第二話 八一三淞滬会戦 2014/9/10 15:40 七・七事変(盧溝橋事変)発生後、日本海軍が再び上海地区で挑発・挑戦した。1937年8月9日、大山勇夫海軍中尉など二人が車に乗って上海虹橋空港に乱入して挑発したため、駐屯する軍隊の保安隊に射殺された。日本軍は…

第一話 七・七事変(盧溝橋事変)

第一話 七・七事変(盧溝橋事変) 2014/9/9 16:17 1937年7月7日夜、華北に駐屯していた日本軍が、中国第二十九軍の守備エリア・盧溝橋付近でいわゆる軍事演習を行った。その後、兵士1人が行方不明になったのを口実に日本軍は北平南西部にある宛平城内の捜索…

廬山談話

1937年7月17日、蒋介石は廬山談話(いわゆる「最後の関頭」演説)を発表。 抗日全軍将兵に告ぐ 蒋介石 抗日全軍将兵同志諸士! 今次の蘆溝橋事件に際し、日本軍は卑劣極まる欺瞞的手段によつて我が天津及び北平を占拠し、我が同胞民衆を殺害したが、我が国に…

日中戦争の主な戦闘

1937年8月〜11月 第二次上海事変 1937年9月〜11月 太原会戦 1937年12月 南京攻防戦 1937年12月〜1938年5月 徐州会戦 1938年6月〜10月 武漢会戦 1939年3月〜5月 南昌会戦 1939年4月〜5月 随棗会戦 1939年9月〜10月 第一次長沙会戦 1939年12月〜1940年1月 冬季…

第一戦区の概略

1937年8月 河北省、山東省の日本軍に占領されていない地域を主要な戦区範囲として成立。戦区司令長官には当初、蒋介石が兼務したが第二次上海事変が激化すると蒋介石は第二次上海事変に専念せざるを得ず、戦区司令長官を程潜*1に交代する。 戦区麾下には、宋…