日本支配下の琿春

琿春は中国吉林省延辺朝鮮族自治州に属する。朝鮮に隣接し朝鮮系住民も多く1910年の韓国併合後は朝鮮独立運動、特に武装闘争の根拠地となった。 それ故に日本による討伐・弾圧が頻繁に行われた。 1931年9月の満州事変後、中国東北地方が日本の傀儡国となり、…

独立守備隊の変遷

独立守備隊は日露戦争でロシアから奪取した南満州鉄道利権を守備するために編成された部隊である。予備役兵をあてられているものの、日本の満州侵略の尖兵的存在と言える。独立守備歩兵第1大隊から独立守備歩兵第6大隊までの6個大隊が編成されたのは1907年3…

琿春駐屯隊

琿春駐屯隊は1937年6月に編成下令され、朝鮮、満州国、ソ連の国境地帯に位置する重要都市である琿春を警備した部隊である。現在の琿春は中国吉林省延辺朝鮮族自治州に属する。この一帯は朝鮮系住民が多かったこともあり、韓国併合後の日本は琿春を含む間島地…

山本宗補氏が集めた証言

拙写真集「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」より①:小山一郎(敬称略)。部隊は山東省の集落を攻撃。「私たちは焼く部隊。終わったら自分は何軒燃しましたと報告する火付け競争」。老婆が飛び出し命乞いしたが、突き殺せず小屋の中に押しもどし火…

阪神教育闘争事件に関する国会報告(1948年5月22日)

概要 1948年5月に大阪市及び神戸市で起きた朝鮮人学校閉鎖問題に端を発した騒擾事件。 神戸における騒擾事件は4月24日から4月28日まで。 朝鮮人民族学校に対するGHQ及び日本行政当局による排除・閉鎖方針に端を発し、閉鎖強行に対して抗議した朝鮮人らに対し…

浜松事件に関する国会報告(1948年5月6日)

概要 1948年4月に静岡県浜松市で日本人系暴力団(小野組:小野近義)と朝鮮人系暴力団(朝鮮人連盟浜松支部:委員長李季白)の間で起きた騒擾事件。 事件は4月4日と4月5日の二度発生している。なお小野組組長の小野近義は当時、静岡県県会議員であった。 浜…

太田寿男証言と梶谷日記との関連性

ここでの太田寿男証言とは、戦後中国で戦犯として収監されていた太田寿男少佐(南京事件当時の階級)による供述書を指す。 供述書は現在公開されており、南京事件に関連する部分については、画像ファイルを「太田寿男証言」記事にアップした。 (adsbygoogle …

日本軍歩兵第38師団

略歴 1939年(昭和14年)6月30日:創設。治安師団。 所属歩兵連隊は歩兵第228連隊、歩兵第229連隊、歩兵第230連隊の3個。 1939年(昭和14年)10月:華南の第21軍所属。広東警備。 1940年(昭和15年):第21軍廃止。南支那方面軍編入。 1941年(昭和16年):…

日本軍歩兵第2師団

略歴 1888年(明治21年)5月14日:創設(仙台鎮台からの改編)。 所属歩兵連隊は歩兵第4連隊(仙台)、歩兵第5連隊(青森)、歩兵第16連隊(新発田)、歩兵第17連隊(仙台)の4個。 1894年(明治27年):日清戦争。威海営攻略に参加。 1898年(明治31年):…

南京大虐殺時の日本軍第16師団

盧溝橋事件勃発当時の第16師団は4個歩兵連隊で構成される四単位師団であり、師団長は中島今朝吾寿夫中将であった。 隷下の歩兵連隊は、歩兵第9連隊(京都)、歩兵第20連隊(福知山)、歩兵第33連隊(津)、歩兵第38連隊(奈良)である。歩兵第19旅団(長:草…

南京大虐殺時の日本軍第6師団

盧溝橋事件勃発当時の第6師団は、4個歩兵連隊で構成される四単位師団であり、師団長は谷寿夫中将であった(在任:1935/12/2~1937/12/28)。 隷下の歩兵連隊は、歩兵第13連隊(熊本)、歩兵第23連隊(都城)、歩兵第45連隊(鹿児島)、歩兵第47連隊(大分)…

南京大虐殺に関する外国人証言(スマイス)

Lewis Strong Casey Smythe、中国語:刘易斯·斯特朗凯西·史迈士、ルイス・S・C・スマイス(1901/1/31-1978/6/1) アメリカ、ワシントンDC生まれ。1928年にシカゴ大学で社会学博士号取得し、連合宣教会(United Christian Mission Society)の支援で南京金陵…

南京防衛軍の状態と首都・南京の防衛体制

「南京大虐殺の現場へ」p84-85 南京防衛司令本部(司令長官・唐生智。副司令長官・羅卓英、劉興。参謀長・周斕。副参謀長・余念慈) 第2軍団(総指揮・徐源泉)(第41師(師長・丁治磐)、第48師(師長・徐継武)) 第66軍(軍長・葉肇)(第159師(師長・譚…

世界の記憶(Memory of the World: MOW)に登録された南京大虐殺の記録

Post-war archives on the Nanjing Massacre were based on the investigations of the massacre. The International Military Tribunal for the Far East, consisting of representatives from the United States and 10 other countries, and the Chinese …

永富博道(博之)証言

1938年に中支那派遣軍宣撫班員に任じられた永富博道氏は、任官前の1938年1月に国士館専門学校の学生として南京下関で捕虜を射殺したと証言している。 なお、永富博道氏の名前は中国語に翻訳時に「博之」と記載された。また、戦後に「浩喜」と改名したことが…

太田寿男証言

2.日本战犯太田寿男笔供、口供 2.日本战犯太田寿男笔供、口供 2、日本战犯太田寿男笔供、口供 P3 P14 P15 P16 P17 P18 P19 P20 P21 P22 P23

日本軍第13師団の損害

1937年10月7日~11月1日 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11111760800、第13師団上海附近の会戦 戦闘詳報 昭和12年10月7日~12年11月1日(防衛省防衛研究所)」 戦闘参加 死 傷 生死不明 将校 准士官・下士官兵 馬匹 将校 准士官・下士官兵 …

船舶輸送司令部・碇泊場監部・碇泊場司令部

作戦要務令に以下のように記載されている。 作戦要務令 第三部 第1篇 輸送 通則第5 船舶輸送の為、海運基地、海運主地、及び海運補助地を設く 海運基地は軍事輸送上枢要なる内地港湾に之を設け通常船舶輸送の策源地と為し、海運主地は外地主要の港湾に之を…

洛川会議に関する中国の公式見解

中国共産党新聞 洛川会议(1937年8月22-25日) 卢沟桥事变以后,中国开始了全国性的抗日战争。为了进一步贯彻党的抗日民族统一战线的策略,确定党在抗战时期的纲领、路线和政策,1937年8月22日至25日,中共中央政治局在陕北洛川县冯家村召开了扩大会议,即洛川…

洛川会議(1937/8/22-25)で採択された「当面の情勢と党の任務についての決定」

「当面の情勢と党の任務についての決定」(关于目前形势与党的任务的决定)(1937/8/25) 中国共産党公式資料「中央关于目前形势与党的任务的决定」以下は日本語訳。 (一)蘆溝橋における戦争挑発と北平、天津の占領は、日本侵略者が中国中心部に大挙進攻す…

1937年9月時点の日本陸軍の派兵状況

1937年9月時点の日本陸軍の歩兵師団数は23個*1。独立混成旅団は1個*2。 もともと独立混成旅団は2個あったが、そのうち独立混成第11旅団が第26師団に1937年9月に改編されている。 1937年7月に関東軍から2個旅団(独混1旅、独混11旅)、朝鮮軍から1個師団(20…

第二次上海事変(2)

1937年8月23日未明、上海で戦闘中の日本海軍陸戦隊から一部隊を割いて雲陽丸、当陽丸、信陽丸と護衛艦で黄浦江を下り、呉淞埠頭に横付け上陸を試みた。しかし、中国軍から激しい銃撃を受けたため艦砲射撃と軽機関銃と曲射砲によって応戦、岸壁付近の建物に火…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )5の2

「The Rape of Nanking」の節の続き。 前半部分で被害実態についての言及があった。否定論の中には、一部の兵士による不法行為であって日本軍全体の責任ではないとするものもある。その否定論を打ち消す内容がここから記載される部分。日本軍司令部の対応が…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )5の1

前4節を通じて、日本側の認識を論じた東京裁判法廷は、いよいよ南京大虐殺の記述に入っていく。 「The Rape of Nanking」 南京大虐殺事件、南京事件などと呼ばれる日本軍による有名な戦争犯罪である。 この部分については、ネット上でも日本語訳を見つけるこ…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )4

『国際法上の戦争ではない』『戦争捕虜ではなく匪賊である』『捕らえた中国軍兵士を即時処刑しても問題ない』という日本側の認識が盧溝橋事件(The Marco Polo Bridge Incident)後も変わらなかったことを示すのがこの節である。 「The Policy Remained Unch…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )3

東京裁判判決文第8章「通例の戦争犯罪」の3つ目の節は「Captives Taken in the China War Were Treated as Bandits」すなわち「中国での戦争で捕らえた捕虜は盗賊として扱った」である。 Captives Taken in the China War Were Treated as Bandits The Japan…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )2

軍の方針の樹立 Formulation of Military Policy Before discussing the nature and extent of atrocities committed by the Japanese armed forces, it is desirable to state, very shortly, the system under which such conduct should have been contro…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )1

東京裁判判決文の第8章は「通例の戦争犯罪」となっており、そこに戦争中の日本政府・日本軍の行動に対する評価が記されている。第8章内の最初の節は「Allegation That the Laws of War Did Not Apply To the Conduct of the War in China」である。すなわち…

税警総団

「税警总团(publicanus vigilum legion)」 成立時は5個団と直属部隊で合わせて6000人の部隊であった。団(連隊)規模は通常よりも大きい。各班14名の兵士と軽機関銃一挺で編成され、6班で1排(小隊)を編成、3排で1連(中隊)を編成する。1連は252人となり…

孫元良の略歴

第二次上海事変で孫元良は精鋭部隊である第88師を率いて日本軍と戦った。閘北陣地を76日間にわたって堅守した。第88師は大きな損害を被り、何度も補充されたが最後には新兵しか補充されなくなっている。1937年10月26日に大場鎮が陥落。上海戦区からの撤退に…