洛川会議に関する中国の公式見解

中国共産党新聞 洛川会议(1937年8月22-25日) 卢沟桥事变以后,中国开始了全国性的抗日战争。为了进一步贯彻党的抗日民族统一战线的策略,确定党在抗战时期的纲领、路线和政策,1937年8月22日至25日,中共中央政治局在陕北洛川县冯家村召开了扩大会议,即洛川…

洛川会議(1937/8/22-25)で採択された「当面の情勢と党の任務についての決定」

「当面の情勢と党の任務についての決定」(关于目前形势与党的任务的决定)(1937/8/25) 中国共産党公式資料「中央关于目前形势与党的任务的决定」以下は日本語訳。 (一)蘆溝橋における戦争挑発と北平、天津の占領は、日本侵略者が中国中心部に大挙進攻す…

1937年9月時点の日本陸軍の派兵状況

1937年9月時点の日本陸軍の歩兵師団数は23個*1。独立混成旅団は1個*2。 もともと独立混成旅団は2個あったが、そのうち独立混成第11旅団が第26師団に1937年9月に改編されている。 1937年7月に関東軍から2個旅団(独混1旅、独混11旅)、朝鮮軍から1個師団(20…

第二次上海事変(2)

1937年8月23日未明、上海で戦闘中の日本海軍陸戦隊から一部隊を割いて雲陽丸、当陽丸、信陽丸と護衛艦で黄浦江を下り、呉淞埠頭に横付け上陸を試みた。しかし、中国軍から激しい銃撃を受けたため艦砲射撃と軽機関銃と曲射砲によって応戦、岸壁付近の建物に火…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )5の2

「The Rape of Nanking」の節の続き。 前半部分で被害実態についての言及があった。否定論の中には、一部の兵士による不法行為であって日本軍全体の責任ではないとするものもある。その否定論を打ち消す内容がここから記載される部分。日本軍司令部の対応が…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )5の1

前4節を通じて、日本側の認識を論じた東京裁判法廷は、いよいよ南京大虐殺の記述に入っていく。 「The Rape of Nanking」 南京大虐殺事件、南京事件などと呼ばれる日本軍による有名な戦争犯罪である。 この部分については、ネット上でも日本語訳を見つけるこ…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )4

『国際法上の戦争ではない』『戦争捕虜ではなく匪賊である』『捕らえた中国軍兵士を即時処刑しても問題ない』という日本側の認識が盧溝橋事件(The Marco Polo Bridge Incident)後も変わらなかったことを示すのがこの節である。 「The Policy Remained Unch…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )3

東京裁判判決文第8章「通例の戦争犯罪」の3つ目の節は「Captives Taken in the China War Were Treated as Bandits」すなわち「中国での戦争で捕らえた捕虜は盗賊として扱った」である。 Captives Taken in the China War Were Treated as Bandits The Japan…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )2

軍の方針の樹立 Formulation of Military Policy Before discussing the nature and extent of atrocities committed by the Japanese armed forces, it is desirable to state, very shortly, the system under which such conduct should have been contro…

東京裁判判決を読む(Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) )1

東京裁判判決文の第8章は「通例の戦争犯罪」となっており、そこに戦争中の日本政府・日本軍の行動に対する評価が記されている。第8章内の最初の節は「Allegation That the Laws of War Did Not Apply To the Conduct of the War in China」である。すなわち…

税警総団

「税警总团(publicanus vigilum legion)」 成立時は5個団と直属部隊で合わせて6000人の部隊であった。団(連隊)規模は通常よりも大きい。各班14名の兵士と軽機関銃一挺で編成され、6班で1排(小隊)を編成、3排で1連(中隊)を編成する。1連は252人となり…

孫元良の略歴

第二次上海事変で孫元良は精鋭部隊である第88師を率いて日本軍と戦った。閘北陣地を76日間にわたって堅守した。第88師は大きな損害を被り、何度も補充されたが最後には新兵しか補充されなくなっている。1937年10月26日に大場鎮が陥落。上海戦区からの撤退に…

安倍政権の歴史に対する態度を示す答弁

(平成二十九年一月二十三日提出 質問第二二号)「真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状」に関する質問主意書 (平成二十九年一月三十一日受領 答弁第二二号)衆議院議員辻元清美君提出「真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状」に関する質…

「加賀」は日中戦争初戦で南京等を空爆した艦載機が発艦した空母

ヘリ護衛艦「かが」就役4隻態勢 対中潜水艦戦に威力 米戦闘機発着も可能(産経新聞 3/23(木) 7:55配信 )自衛隊の四隻目のヘリ空母「かが」が就役し対中国関連で強調されている。 しかし中国側が「かが」を警戒するのは、現在の日本の対中政策に対してだけ…

犬の皮供出の証言

「臣民根性の行き着く果て―「戦時犬猫供出」」に関連する証言として。 川越市霞ヶ関公民館発行の「一人ひとりの戦争体験」よりM氏*1の「恐ろしかった犬の皮の供出」(139-140ページ)。 (略) 終戦も間近い昭和十九年頃だったと思いますが、霞ヶ関村へ犬の…

「心理作戦班日本人捕虜尋問報告四九号」にある慰安婦らの連行時点での年齢

「心理作戦班日本人捕虜尋問報告四九号」には捕虜となった慰安婦に関する以下の情報がある。 付録A 以下はこの報告に用いられた情報を得るために尋問を受けた二○人の朝鮮人「慰安婦」と日本人民間人二人の名前である。朝鮮人名は音読みで表記している。 名 …

林彪の語る平型関の戦訓

全体としての平型関の戦闘は、1937年9月22日の中国軍第2戦区が防衛する平型関に対する日本軍第5師団の攻撃開始から、28日の中国軍による平型関放棄までの一連の攻防戦を意味する。 防衛の主体となったのは第2戦区隷下の第6集団軍(楊愛源)に八路軍第115師(…

上海・大山勇夫海軍中尉遭難事件(虹橋飛行場事件)の概略

1937年8月9日夕刻、上海郊外の虹橋飛行場正門前で大山勇夫海軍中尉が中国保安隊によって射殺された。大山事件という。 日本側は中国側に対し強硬に抗議し軍艦を上海に派遣して威嚇、結果として第二次上海事変が勃発するに至るが、中国側では日本軍将校が虹橋…

盧溝橋事件から通州事件・北京陥落まではどういう流れだったか

1937年7月7日、現在の北京郊外盧溝橋附近にて夜間演習中の日本軍に対して実弾発砲事件があった。日本軍の演習に反発した中国軍兵士による偶発的発砲というのが通説である。 発砲による日本軍の被害は皆無だったが、日本兵一名が一時所在不明になったことから…

南京大虐殺とはどういう事件だったか

1937年12月13日、侵攻してきた日本軍の攻撃により中華民国の首都・南京が陥落した。 南京防衛軍は崩壊し一部の部隊が日本軍の包囲網を破っての撤退に成功したが、多くは壊滅した。 南京の中国軍防衛線は南京城の城壁を最終的な防衛ラインとし、それを城外の…

慰安婦問題関連のブログ

ソウルと釜山の日本大使館、領事館前にある少女(従軍慰安婦)像を見学してきた ( Bill McCreary、2017年01月06日 00:00) 少女像を見てきた人の記録。釜山領事館前の少女像が正門前でも近くでもなかったのは意外。 少女像設置の件における日本側「戦犯」 …

日米開戦時の入江相政日記

昭和天皇の侍従長を勤めた入江相政氏の日記。 入江相政日記〈第1巻〉 (昭和16年) 十二月八日(月) 快晴 快適 六、三〇 一一、三〇 いよいよ日本は米英両国に宣戦を布告した。来るべきものが来ただけの事であり却ってさっぱりした。九時前に出て省線で浜離…

村井倉松

1932年に上海総領事で戦後八戸市長となった村井倉松(村井倉松 - Wikipedia)(1888-1953/10/23)という人物がいる。この村井倉松は八戸市長在職2年半で膀胱肉腫で死去している*1。 八戸市には、もう一人同名の村井倉松なる人物がいる。 明治年間の1889年に…

満州事変勃発に伴う日本軍の派兵経過

満州事変勃発時 関東軍(司令官:本庄繁、参謀長:三宅光治) 駐箚師団:第2師団(師団長:多門二郎、参謀長:上野良丞) 第3旅団(歩兵第4連隊、歩兵第29連隊) 第15旅団(歩兵第16連隊、歩兵第30連隊) 騎兵第2連隊(本部+第1中隊) 野砲兵第2連隊(本部…

1940年11月30日に編成下令された独立歩兵大隊

所属 部隊名 編成日 管理 独混19旅 独立歩兵第97大隊 南支那方面軍 独混19旅 独立歩兵第98大隊 南支那方面軍 独混19旅 独立歩兵第99大隊 南支那方面軍 独混19旅 独立歩兵第100大隊 南支那方面軍 独立混成旅団 部隊名 符丁 編成日 編成地 所属部隊 補充担当 …

1939年11月7日に編成下令された独立歩兵大隊

所属 部隊名 編成日 管理 独混16旅 独立歩兵第82大隊 北支那方面軍 独混16旅 独立歩兵第83大隊 北支那方面軍 独混16旅 独立歩兵第84大隊 北支那方面軍 独混16旅 独立歩兵第85大隊 北支那方面軍 独混16旅 独立歩兵第86大隊 北支那方面軍 独混17旅 独立歩兵第8…

1938年10月31日に編成下令された独立歩兵大隊

独立歩兵第1〜20大隊が編成された1938年2月から8か月後の10月に番号を飛ばした独立歩兵第101〜108大隊が編成されている。 部隊名 管理 独立歩兵第101大隊 中支那派遣軍 独立歩兵第102大隊 中支那派遣軍 独立歩兵第103大隊 中支那派遣軍 独立歩兵第104大隊 中…

1939年7月22日に編成下令された独立歩兵大隊

所属 部隊名 編成日 独混第1旅団 独立歩兵第72大隊 1939年9月7日 独混第1旅団 独立歩兵第73大隊 1939年9月7日 独混第1旅団 独立歩兵第74大隊 1939年9月7日 独混第1旅団 独立歩兵第75大隊 1939年9月7日 独混第1旅団 独立歩兵第76大隊 1939年9月7日 独混第15旅…

独立歩兵第66〜第71大隊の編成

独立混成第6〜第14旅団(独立歩兵第21〜第65大隊)が編成された1939年1月、独立歩兵第66〜71大隊の6個大隊が編成されている。 部隊名 編成下令日 独立歩兵第66大隊 1939年1月31日 独立歩兵第67大隊 1939年1月31日 独立歩兵第68大隊 1939年1月31日 独立歩兵第…

1938年2月10日に編成下令された独立歩兵大隊

独立混成第2〜5旅団の4個旅団を新編するにあたり、所属する各5個大隊、計20個の独立歩兵大隊を編成している。 所属 部隊名 編成日 独混第2旅団 独立歩兵第1大隊 1938年3月20日 独混第2旅団 独立歩兵第2大隊 1938年3月20日 独混第2旅団 独立歩兵第3大隊 1938…