阪神教育闘争事件に関する国会報告(1948年5月22日)

概要

1948年5月に大阪市及び神戸市で起きた朝鮮人学校閉鎖問題に端を発した騒擾事件。
神戸における騒擾事件は4月24日から4月28日まで。
朝鮮人民族学校に対するGHQ及び日本行政当局による排除・閉鎖方針に端を発し、閉鎖強行に対して抗議した朝鮮人らに対して警察及び占領軍が弾圧を加えた事件。多くの朝鮮人が逮捕・検挙され、最大15年の重労働を科せられた者や弾圧による死傷者を出している。

阪神教育闘争事件の経緯(神戸の事件を中心に)

当時、朝鮮人連盟が中心となって経営されていた朝鮮人学校が兵庫県下に42校及び分校1校、児童数7500人あり、大阪府下には43校児童数11000人の規模となっていた。1948年1月24日、日本政府文部省は朝鮮人による民族学校を事実上禁じる通牒を出し、これについての協議が大阪府市側と朝鮮人学校長らとの間で行われた(1948年2月10日、2月20日、2月26日、3月1日、3月12日、3月16日、3月22日、3月23日)。しかし協議の実態としては、朝鮮人学校解散の方針を押し付けるだけのもので、4月12日に至り、大阪府は43校中19校に対して4月15日を期限とした閉鎖命令が出されるに至った。
兵庫県でも同様も3月5日から協議をしたものの4月10日に至り、神戸市内の4つの朝鮮人学校に対して即刻閉鎖命令(4月10日当日)が出されるに至る。
朝鮮人側父兄は兵庫県庁に押しかけ、4月12日、13日、14日と連日抗議し、県知事に閉鎖命令の撤回を求めたものの、4月15日に至って県知事は警察を動員して朝鮮人ら73名を検束させた。
この兵庫県側の対応は朝鮮人側をさらに激怒させ、4月15日夜には数百名の朝鮮人らが県庁や検束されている生田警察署、兵庫警察署周辺に集まり、警察と対峙する状態となった。
この対峙状態は4月19日には平静に戻り、朝鮮人連盟側も該当署名などの運動に切り替えていくが、兵庫県側は4月21日に至って、4月23日に神戸市内の3つの朝鮮人学校(校舎は3校だが、1校舎内に2校あるため朝鮮人学校としては4校)閉鎖仮執行の方針を決定し、4月22日23日と朝鮮人側代表と協議を設けたものの実質的には一方的な通告に過ぎず、4月23日午後になって仮執行が強行されるに至った。
二宮の校舎は騒動に至ることなく仮執行が実施された。稗田の校舎では200人の朝鮮人が抵抗したものの150人の警察官が投入され仮執行が強行された。神楽の校舎では1000人の群集が妨害し、執行官も警察官を同行していなかったためこの日の仮執行を断念した。
その後、群集は神楽校に立てこもる。
翌1948年4月24日、県知事らは再度の仮執行について協議し、神戸市議会の共産党議員と朝鮮人代表者らが知事との面会を求めても拒絶し、その他朝鮮人連盟らとの協議申し込みも拒絶し続けた。11時に至って遂に朝鮮人群集が押し寄せ、事態にあわてた県知事らはようやく学校閉鎖命令の撤回に同意し、朝鮮人学校については双方委員を出して協議することを了承した。
しかし、1948年4月24日23時、兵庫県軍政部が非常事態宣言を発令し、朝鮮人側に対する県知事らの誓約を全て無効として朝鮮人らの群集を根こそぎ検挙し始めた。
1948年4月28日に非常事態宣言が解除されるまでに検挙された人数は1732人(神戸)。そのうち136人が起訴され39人が軍事裁判にかけられ、5人が重労働15年、1人が重労働12年、1人が重労働10年、5人が重労働5年以下の刑が科せられた。

参考:阪神教育闘争に学ぶ 民族教育と日本
参考:阪神教育闘争から70年 作家らが映画製作や写真展
参考:大阪市公立学校における在日韓国・朝鮮人教育の課題と展望

なお、最終的には、朝鮮人団体と行政当局との間に民族教育の存続を認める妥協案が成立し、後の民族学級の下地となった*1

国会報告

衆議院阪神教育闘争事件の調査団を派遣した。調査団は鈴木直人、岡本愛祐、岡田喜久治、村尾重雄の他、司法委員会からの中村正雄、宮城タマヨを含めた6名に兵庫県庁及び神戸市役所の調査のみ松澤兼人、小暮藤三郎も参加しており、合計で8名が参加している。調査は5月4日から8日にかけて行われている。
以下は鈴木直人の報告。

第002回国会 治安及び地方制度委員会 第15号
昭和二十三年五月二十二日(土曜日)
   午前十時三十八分開會
  ―――――――――――――
  本日の會議に付した事件
消防組織法の一部を改正する法律案
 (内閣提出、衆議院送付)
○大阪、神戸そうじよう事件の調査報
 告に關する件
○國家非常事態宣言の場合における警
 備對策に關する件
  ―――――――――――――
(省略)
鈴木直人君 朝鮮人學校閉鎖問題に端を發する神戸市及び大阪市における朝鮮人騒擾事件調査のために、去る五月四日より八日まで五日間、兩市に出張調査をいたしました結果について、その概要を私から一應報告いたしたいと思いますが、尚不足の分につきまして、或いは間違つた點につきましては、他の出張委員から補正して頂きたいと思います。
 出張いたしました議員は、本委員會より鈴木直人、岡本愛祐、岡田喜久治、村尾重雄の各委員でありまして、尚司法委員會より中村正雄、宮城タマヨ兩委員も同一行動を以て調査せられたのであります。又兵庫縣廳及び神戸市役所における調査に際しましては、衆議院の治安及び地方制度委員會より、同じく調査のために派遣せられておりました松澤兼人、小暮藤三郎の兩代議士も同席の上、同時調査をいたされた次第であります。
 先ず本事件の調査に當りまして、その主眼點をどこに置いたかと申しますと、本事件はいろいろな複雑な問題がこんがらかつておるのであります。即ち本問題は、教育上の問題でもありますし、或いは又日本に殘留するところの朝鮮人の取扱いに關する問題でもあります。或いは思想の問題も含んでおりますし、或いは司法上の問題でもあるのでありまするが、治安及び地方制度委員會の我々といたしましては、主として治安の確保、新警察法の運用、又はその改正の要否というような點に主眼を置いて、調査をいたしたわけであります。
 先ず事件の眞相を正確に掴みたいと考え、そのために事件に關係ある者について、でき得る限り洩れなく直接面接いたしまして、事情を聽取したかつたのでありまするが、事件を起しました方面、即ち朝鮮人側の幹部は、當時檢擧せられて拘留中でありましたために、これらの方々に面接する機會を得ることができなかつたことは、私達の遺憾とするところでありました。併しながら我々としましては、全く白紙の立場で最も大問題に公正に、正確にその眞相を掴むことに努力をして、大方その目的を達することができたように考えておるのであります。本事件の概況につきましては、先日本委員會において述べられた鈴木法務總裁の報告と重複する點がありますので、ここでは避けたいと思いまするけれども、或いは重複する部分があるかとも存じまするので、その點を御了承をお願いしたいと思います。
 先ず第一に、本事件を起すに至つた原因について簡單に報告いたしますと、終戰後全國に亙りまして、朝鮮人團體、これは主として朝鮮人連盟が大部分でありますが、これが經營者となりまして、朝鮮人の子弟のみを教育する、いわゆる朝鮮人學校というものが續々開校せられたのでありまするが、本事件發生の當時においては、兵庫縣下には四十二校、外に分校一校がありますが、その兒童數は約七千五百人、大阪府下には四十三校、その兒童數は約一萬一千人に達しておつたのであります。ところが本年一月二十四日、文部省學校教育局長より各府縣知事宛の通牒を以て、「朝鮮人の子弟であつても、學齢に該当する者は、日本人同樣、市町村立又は私立の小學校又は中學校に就學させなければならない。又、私立の小學校又は中學校の設置は、學校教育法の定めるところに依つて都道府縣知事の認可を受けなければならない」。というようなことであり、尚府縣知事においては、以上の趣旨を實施するための適切に措置を講ずるようにというような意味の指示が、文部省から府縣知事に發せられたのであります。
 大阪府におきましては、これに基きまして、二月六日關係方面よりの指示もありまして、朝鮮人學校長會議を開催して、右の通牒の説明をしたのを初めといたしまして、二月十日、二月二十日、二月二十六日、三月一日、三月十二日、三月十六日、三月二十二日、三月二十三日と、漸次政府の方針の實行方について、府市側と朝鮮人學校經營者、或いは父兄側との間に折衝が續けられて行つたのであります。併しながら遂に四月十二日に至りまして、大阪府下四十三校の中、十九校に對して四月十五日を期限として、閉鎖命令が府縣知事から發せられたのであります。又兵庫縣においては、三月五日から、大阪府と同樣な經過を辿つて行つたのでありまするが、大阪は四月十二日でありまするが、兵庫は四月十日に至りまして、遂に神戸市内にある四つの朝鮮人學校、これは日本の小學校を借りてやつておるのでありますが、その四つの朝鮮人學校に對して兵庫縣知事より、即刻四月十日を限つて閉鎖命令が出たわけであります。知事より閉鎖命令を受けました朝鮮人側は、直ちに今度は閉鎖命令の撤囘要求運動を展開するようになつたのであります。
 先ず兵庫縣における概況を申しますと、兵庫縣においては四月十日閉鎖命令を受けるや、四月十二日、四月十三日、四月十四日と連日縣廳に父兄或いは代表者が押しかけまして、知事に面會をして、閉鎖命令の撤囘の要求をいたして、遂に四月十四日の夜においては、數十名の者が、縣廳の副知事の室で學務課長を取圍んで終夜押問答を續けて、遂に徹夜をいたし、明けて十五日も引續き副知事室に坐り込んで、知事との直接面会を要求して動かなかつたわけであります。その日の夕方午後五時頃になつて、知事は遂にこれらの人々に解散命令を書類を以ていたしまして、撤退しなかつたために、全員七十三名を檢束するということになつたのであります。警察との關係は大體これ以後に起つて來るわけでありますが、この檢束せられたということを知つた神戸市内の朝鮮人の方面におきましては、その夜八時頃、或いはトラツク或いは三々五々と縣廳の周圍に集まりまして、約數百名に達したのであります。尚一方これらの七十名、これは三名は歸されたのでありますが、七十名の檢束者を留置しているところの生田、兵庫の警察署の周邊にも、それぞれ數百名の朝鮮人が參集いたしまして、そうして不穩のままに、その當夜は警察官と對峙して徹夜をし、翌十六日にも縣廳の周邊には約三百名の群集が集まつて、その代表者が知事に面會を求めて、この被疑者の釋放と閉鎖命令の撤囘について交渉をいたしたのであります。一方又二つの警察署におきましても、群集がますます多くなつて、そうして面會の強要とか或いは被疑者の即時釋放、差入れ要求などを續けながら、一日を經過いたしたのであります。この日の警察官の動員は五百四十九名になつておるのでありまして、この際における市警察或いは國家警察との連絡は、極めて順調に進められておつたようであります。
 次の十七日、十八日と段々經過するにつれまして、拘留中の朝鮮人は、取調べを終りまして、刑務所の方に移されました關係もあつて、段々と群衆は解散をし始めて、十九日に至つては漸く平穩となつて、警察關係におきましても、警備態勢を一應解除するようになつたようであります。二十日には、朝鮮人連盟の中に教育對策委員會というようなものが設けられまして、主として一般市民に愬える運動、いわゆる街頭署名運動などを展開しておつたのでありますが、次の二十一日に至りまして、午後四時から縣廳の知事の部屋に、知事、副知事、市長、助役、市の警察局長、檢事正、次席檢事などが集りまして、協議の結果、いよいよ二十三日を期して神戸市内の三つの學校に對して、假執行の處分をすることに決定したようであります。二十二日、二十三日も縣廳で、朝鮮人代表と知事との面會があつたけれども、勿論物別れのままになつて、次いで二十三日にはいよいよ朝鮮人小學校に假執行が行われるようになつたのであります。
 午後遲く假執行が行われたのでありまするが、その學校は、日本人の小學校を三つ借りておるのでありまするが、その中の一つには、朝鮮人學校としては二校に分れて、借りて入つておつたのでありまするから、日本人の學校としては三つでありまするが、朝鮮人の學校は四つになつておるのであります。この二宮という一つの學校におきましては、なんのこともなく假執行が行われたのでありまするが、稗田校という一つの學校においては、約二百人の朝鮮人が妨げておりましたので、警察署長外百五十人の警察官が應援をいたしまして、執行を終つたのであります。併しながら他の一校である神樂校、これには朝鮮人の學校が二つあるのでありまするが、この神樂校の分は、約一千人の群衆が妨害いたしまして、執達吏はこれを執行せずして歸つてしまう、警察官はその後行つたのでありまするが、執行の人達が歸つたあとに行つたような關係で、遂にこの神樂校については假執行は不執行に終つたのであります。勿論群衆はその夜は學校に籠城いたして、徹夜をいたしたのであります。
 このような經過を以て問題の二十四日の日が來たのであります。翌二十四日には、午前九時から知事の部屋において、知事、副知事、教育部長、或いは市長、助役、檢事正、次席檢事、市の警察局長、市の公安委員長、國の警察長、縣の公安委員長はおらなかつたようであります、その他關係者が集まりまして、協議をいたしたのであります。これは市の警察局長の要請によつてやつたのでありまして、その題目となつたのは、先日不執行に終つたところの神樂小學校に對してもう一度假執行をする、それをいつするかというような點について、又二十六日には三萬人の朝鮮人のデモがあるということになつておるので、その取締をどうするかというようなことについて協議が進められたのであります。午前の九時に始まりまして、十時十分頃、神戸市會議員の堀川という共産黨員が、朝鮮人を含む數名を連れまして知事に面會を申込んで來ましたが、協議中であるというので拒絶をいたされたようであります。尚十時三十分頃朝鮮人連盟の金という人が、釋放新聞の記者でありまするので、釋放新聞記者という名目の下に知事に會見を申込んだのでありまするが、これも亦協議中であるために會見することができなかつた。兵庫縣の報告には、このときに誰か縣廳の公衆電話を使つて、そうして朝鮮人連盟の支部、或いは教育對策委員會という方面に電話を掛けた者であるということでありまするが、約三十分も經た十一時頃、急にトラツクで以て朝鮮人の大衆が縣廳の前にやつて來て、或いは三々五々徒歩で集まる者もありまして、直ちに數百名に達したようであります。知事室におきましては、何もそういうことを知らないので、知事室の中におきましては、その假執行のことなり三萬人のデモのことについて相當激論が交わされて、熱心に協議をいたしておつたようでありまするが、そうしておるうちに、約百名の青年行動隊の記章を付けた者が先頭になつて、そうしてどやどやとその知事室を目指して縣廳の中に侵入をいたして來たわけであります。そうしてこれに續いて相当の者が縣廳に入つて來たわけであります。知事室の中におきましては、そういう状態を知らないで相變らず協議をいたしておつたのでありますが、その控室の所に相當の者がやつて來て、器物を毀す物音が相當はげしい、その音が突然起つたので知事室の人々は、先つき斷わられた人達が來て亂暴しておるのであるという工合に考えておつたようでありまするが、念のために知事室にいた小山保安部長が電話で市の警察との連絡をする、又三宅國家地方警察の警備課長が國家地方の警備課の方に電話で連絡する、又副知事から、渉外局長に對してMPと連絡するというようなことをやらしたりして、早くそれを鎭めるようなことをしたようであります。併しながらしばらく經つと相當喧しくなつて知事室に入つて來るような氣色がありましたので、市の警備課長をしておる者が知事室におりましたので、ドアが開かないようにそのドアの取手を中から押えて、又他の者はつい立をドアに置いて、更に大きなテーブルを運んで第二の防禦點を作つたのであります。その後鈴木法務總裁が御説明したような事態が起つたのでありまするが、時間が掛りますからその點はまあ省略をしておきたいと思います。
 そういうふうにしてついに知事はその學校閉鎖の命令を撤囘し、又朝鮮人の特殊學校についてはどうするかという點については、後日双方より委員を出して協議をする、但し協議決定するまでは從來の學校を認めるというようなこと、或いは市の警察局長と檢事正におきましては、拘留中の六十五人の者を即時釋放するというようなこと、或いは市長は假處分の要求を撤囘するというような次第が、文書で認められておつたわけであります。その間に警察におきましては、相當の經緯を辿つておりましたのでありますが、實はその點について詳しく御報告申上げたいと思いまするけれども、實はこの點が御報告申上げようと思うと警察の運用の中心でありまするけれども、時間が掛るので省略をいたしたいと存ずるのであります。そうしてついに知事は閉鎖命令を撤囘するに至つたわけであります。
 その後夜の午後十一時に至りまして、神戸基地司令官から知事、市長、市警察局長、或いは國家警察長、檢事正、次席の檢事、或いは市内の警察署長、という者が召集を受けまして、非常事態の宣言の指令を受けまして、その時から警察が基地司令官の指令の下に動くということになつたわけであります。
 これにつきまして、又大阪におきましても同樣な事件が四月二十三日と、四月二十六日に起つたのでありまするが、大阪の事件は豫め朝鮮人側から屆出がありまして、そうして市の警察局長におきましては、大衆デモはこういう方法によつてやれということを一應指示を與へて、そうしてその責任者がそのことを守りつつやつたのであります。併しながら集まつて見ますと、大衆はその指導者の言うことを聞かずして相當騒擾を行つたのでありますが、併しながらこの點が神戸の事件と違いまして、神戸は殆んど全然關係なく、檢事、警察側におきましても突如そういうふうな者が入つて來るというようなことについては、豫め何らの連絡もなかつたのであります。從いまして警察といたしましても豫めこれに對する對策を講ずるというような考え方もなく、餘裕もない、いわば虚を突かれたというような状態でありまして、誠に私は氣の毒なことであつたと思うのであります。大阪におきましては、先程申上げましたように豫め置いてあるところの指導者が連絡をいたしまして、そうして府廳の周圍に大衆が集まり、その代表者が府知事と交渉する、而もその交渉の人員ももうはつきり決まつておるというような形であるようでありまして、こういう關係であるのでありますから、警察といたしましても相當見事なやり方をすることができたと思うのであります。
 これにつきまして關係の方面において、關係といいますか、神戸、大阪方面におきまして、我々に對して要望することがあつたのであります。それについて簡單に申上げますと、兵庫縣の公安委員會の意見でありますが、第一は國家地方警察の定員を増加する必要がある、併しながら三萬人という定員を増加するということが困難であるならば、左の二つの方法によつてもよろしい。その第一は警察の組織を府縣單位とする、併し實施困難なときは市以外の自治體警察は廢止して、全部國家地方警察の管轄に包含するというような方法をとつて貰いたい。又常備訓練部隊、いわゆる管區本部が持つておるところの、常備訓練部隊の分遣隊を、神戸市にも設置して貰うということになりますれば、或いは神戸市としまして、兵庫縣としましては、國家警察の増員が不可能である場合には、仕方がないであろうというようなことが第一點でありました。
 尚國家地方警察及び自治體警察及び自治體警察相互間の協力規定を設ける。これは至る所でこういう話が出るのでありまして、過日犬山事件が發生したときに我々が參りました場合にも同じようなことを言うておつたわけであります。
 又警備情報を法的義務とすることが必要である。法的義務を與えられないと、警備情報というものが、やつてよいことになつておりますけれども、どの程度までやつてよいのかどうか、曾て特高警察等がやつておりましたところの情報ということになつておる關係がありまして、警察としても情報を取ることにおいて非常に遠慮をいたしておる。從つて事前に察知して、事前對策を講ずるというようなことが全然できないために、デモにおきましては、デモを實施する方面がむしろ常に緊密な連絡をとり得るのに拘わらず、これを警備するところの警察におきましては、殆んどその情報を受けることができないのでいつも手遅れになる。今度の事件などは確かにこの情報がなかつたという點に、有力な原因があるということでありまして、この警備情報を法的に義務化するというようなことは、必要であるということ痛感いたしておつたのであります。
 又その一つの地方の非常事件の發生したときは、府縣知事に對しては警察權を附與するということにしたらよかろうというような意見もあつたのであります。尚國家地方警察と自治體警察の待遇の不均衡を是正するというようなこともあつたわけであります。又大阪市公安委員會の要望といたしましては、同じくやはり自治警察相互間、及び自治體警察より國家地方警察への授助について、法律が漠然としておるから、これをはつきり改正する必要があるということ。又警察官の武裝強化等につきまして、ピストルが非常に少ない、これももつと多くして貰う必要がある、これをもつと多くして貰う必要がある、これは到る所で同じようなことを聞いて來たのであります。又警察官の機動性を發揮するために、トラックのようなもの、或いはウエポン・キヤリヤーというようなものが必要である。又定員を殖やす必要がある。とにかく常備訓練部隊に派遣されるところに人員は、定員外にするようにすることが最も必要ではないかというようなことが、地方委員會においても言われておつたわけであります。
 又大阪府管區本部におきましても、これは同じように國家地方警察の警察官の定員を増加する必要がある、例えば訓練所の要員を三萬人定員外としたらよろしい。或いは非常事態に準ずる事態が起つた場合には、管區本部長限りにおいて、臨時的に簡單に非常事態の措置ができるように、規定してほしいというようなことも言われたのであります。又警察力の強化については、先程申上げました他の方面の意見と同樣に、裝備を充實する必要がある、或いはピストル等の、ウエポン・キヤリヤー、自動車、トラツク、梯子、繩等を充實する必要があるというようなこと。殊に管區本部といたしましては、非常事態の發生した場合には、その管區内におけるところの總指揮をする、いわゆる指揮權、その全體の指揮をするところの權能を與えられているのであるが、現在のような機構では非常に少ない、三十何名しかおらん。これでは管下におけるところの國家警察長なり、或いは市の警察長を指揮して、本當の實效を擧げることは非常に困難である、というようなことが言われておつたのであります。
 尚我々といたしまして、今囘の事件發生について感じましたことは、その第一は情報が不備であつたという點であります。この情報を確實に敏速に入れるということが、どうしても將來日本の治安を維持する上においては必要だと考えられるのでありまするが、この情報の點につきましては、どの程度に現在許されておるのであるか。特に合法性のあるものに對する情報につきましては、案外得易いのですが、非合法のものの情報については、非合法的なものを掴む手段がなければ情報を得ることができない。殊に將來日本の大きな治安問題が起るような場合を想像すると、むしろ秘密裡に計畫されるところのものが重要性を持つのであつて、この點をどういうふうに取扱うかという點について、十分檢討して置く必要があるということを痛感いたしたのであります。
 尚我々の痛感いたしました第二の點は、神戸のごときにおきましては、警察が機敏な活動がなかつたのであります。これは情報が得られなかつたために、不意を突かれて機先を制せられたというような點に原因があるのでありますが、尚關係方面に非常に依頼心が多くありまして、神戸市長のごときは、日本の警察においては到底日本の治安を維持することができないというようなことをはつきり言うておられまして、實は警察を持つておる者が、自分の警察力では神戸市内の治安を維持することはできないというような考えを持つておることは、非常に殘念であるというので、岡田喜久治委員、或いは岡本委員等から強く遺憾の意を表し、且つ激勵鞭撻をせられたような次第であります。勿論條件がありまして、もつと定員が多くならなければいけないということ。又相當ピストルその他の武器を持たせなければいけないという二つの條件の下に、現在の警察力では大きな治安を維持することができないのだということであつて、その二つを完備することがあるならば、この警察力で以て相當治安を維持することができるのだということであつたわけであります。勿論今囘の事件は、主として行政的處置に關連するところの事件でありましたために、警察といたしましては、強盗とか或いはそういうふうなものと反對に、相當行政的に解決されることを希望いたしておつて、その中に警察が入るということは、そこに暴行とかその他いわゆる法律に違反した行爲が起つた場合に、干與するというような觀點から、警察は進んでおりました關係上、やはり強くこれに對處する力がなかつたように市の警察局長など言われるのであります。
 その他あるのでありますが、この武裝の裝存の強化、或いは人員の増強、或いは非常事態の際におけるところの部分的處理、例えば大阪とか或いは名古屋というような部分的に起つた場合において、この非常事態宣言をどういうふうに效果的にやるかというような點について更に檢討をする必要があるということを痛感したしたわけであります。どうも甚だ不得要領でありまして……。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/002/1336/main.html



*1:大阪市公立学校における在日韓国・朝鮮人教育の課題と展望」