林彪の語る平型関の戦訓

全体としての平型関の戦闘は、1937年9月22日の中国軍第2戦区が防衛する平型関に対する日本軍第5師団の攻撃開始から、28日の中国軍による平型関放棄までの一連の攻防戦を意味する。
防衛の主体となったのは第2戦区隷下の第6集団軍(楊愛源)に八路軍第115師(林彪)の国共合同軍である。
日本軍第5師団第21旅団は、平型関で激戦となり逆襲してきた中国軍に包囲される。この包囲された日本軍の補給線を遮断したのが第115師であった。

f:id:MARC73:20170129014237p:plain

http://www.aisixiang.com/data/100391.html

この経験について、林彪は戦闘終了2か月後の1937年1月27日の『解放』で以下のように述べている。

三、敌人不仅是弹药要靠后方输送,连粮食都要靠日本送来。他们的后方线已扯长有千里多,在这样的情况下,把他们后方线一切断,他们的困难就可想而知了,可以弄得他们进退维谷。所以发展游击战在敌人后方活动是非常重要的。此次平型关战斗,我们正是派了一部分人在敌后路上阻滞其增援部队及粮食供给,最近又占了浑源、广灵等县。

第三に、敵は弾薬を後方輸送に頼るだけでなく食料も日本からの輸送に頼っている。彼らの補給線は千里以上に延びており、このような状況下では、一旦補給線が切断されるとその困難は容易に想像でき、彼等は非常なジレンマにある。したがって、敵後方において遊撃戦を発展させることは非常に重要である。この度の平型関の戦闘で我々は一部の兵力を敵後方線上に派遣し、敵の増援部隊や食料補給を阻害し、最近、渾源、広霊等を奪回した。

http://view.news.qq.com/a/20130208/000011.htm


続きを読む